算道

思考 | thought

計算とは何か

計算とは、素朴に捉えれば、数を数えたり、四則計算(加算, 減算, 乗算, 除算)という処理であったりする。広義には未来を予測したり、思考することであったりする。しかしながら、1920年から1950年頃に現代数学(記号論理学および計算機科学)によって計算の記述方法が確立された。 つまり、計算という行いは古代から行われているものであるにも関わらず、計算というものが記号的に定義できるようになったのは極めて最近のことであり、時代によって計算の捉え方は異なる。

計算とはある記号を入力とし、それを規則にしたがって操作し、出力する作業である。計算の手順や構造は言語によって記述できるが、「計算そのもの」は時間や空間を含み動的であるため記述不可能であり、言語上で計算という概念を新たな視点から再構成しようとも、それは言い換えに過ぎず、無限後退に陥る。つまり、「計算」というここに表示されている漢字はまさしく「計算」であるが、それが何を表しているか、というのは記号で説明できないだろう。それでは一体なにが計算なのだろうか。

計算の宇宙におけるブラックホール

事象と時間は相互に作用することにより観測者に認識されるとする。 例えば、リンゴが樹から落ちるとして、落ちていく様子を私たちは見ることができ、その状態の変化によって時間を見出すが、一方で事象の変化は時間によってもたらされるとも考えられる。

そして、実空間の宇宙では時空が歪むことが知られている。 その現象を予測した理論のことを相対性理論と呼ぶ。 その顕著な例として、異常な重力を持つブラックホールが挙げられる。 ブラックホールの重力からは光(情報)ですら脱出不可能であり、ブラックホールの表面より内部を直接観測することは出来ない。しかしながら、ブラックホール内部が吸い込んだ物質の情報を保持し、ブラックホールから情報を得ることができるかどうかは、ブラックホール情報パラドックスと呼ばれ未だ妥当な解釈は構築されていないが、物理学によって理論的に議論されている。

ここで計算の宇宙での事象を考えてみることにする。計算の宇宙では、2 + 30 < 1 などは計算が終わり、結果が出ることがわかっている。つまり、実空間の宇宙でリンゴが落ちるように、計算の宇宙で2 + 3は自然に行われ5になる。このとき、リンゴの位置が上から下に移動した変位を観測し時間を認識するように、計算の宇宙においても計算前と計算後という状態の変化が時間という概念を生むと考えられる。 その一方で、無限ループは計算結果を持たないために前と後を持たない事象であり、時間を見出すことはできない。 事象と時間は対で認識されるならば、計算の世界では無限ループは認識不可能な対象であると考えられる。

しかし、論理珠算では無限ループを引き起こす命題「ものまね鳥の番い」を実行することができる。 計算結果は出ないが、実空間の宇宙において無限ループという概念に時間と事象を持たせることができ、その結果私たちは無限ループを観測し認識することができる。

異なる宇宙から解釈する

ある宇宙は異なる宇宙によって解釈できる可能性がある。 例えば理論的な解析によって素粒子やブラックホールの存在を予言でき、それを裏付ける実験も行われ存在が認められている。 それらが、普段の生活において認識不可能であったという点に注目したい。 つまり実空間の宇宙は数学や物理学を含む論理学という宇宙を介する事によって理解が深まると言える。 論理学の部分集合である計算においても同様で、計算に対する知見は計算の内側の体系のみで得られるものが全てではない。 その例として、停止性問題の決定不能性やゲーデルの不完全性定理などが挙げられる。 それらは、計算の体系よりも一つ上の層から俯瞰して得られる知見である。 そして、上述した「ブラックホール」と「無限ループ」が時間という側面で同じ関係であると捉え、計算の宇宙において観測不可能であるとみなし、かつ論理珠算によって観測が可能であることを述べた。 このことが、計算の宇宙をそれとは異なる実空間の宇宙から見ることによって理解できる一例であるといえるだろう。これは、実空間の宇宙では直接には見ることのできないブラックホールの性質を物理学や数学を用いることによって解析し、さらにシミュレーションしていることに対して、逆の関係であると言えないだろうか。

算道では論理珠算を用いて計算の宇宙を探求するが、人間が実空間で行うものである。つまり相異なる宇宙を行き交うことを想定した体系であり、そこでの営みが生む宇宙によって私達が生きる宇宙を見直すということも出来るかもしれない。それが論理珠算を行う意味であり、算道の趣きである。